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「61回目の8月9日長崎」無念の死を悼む

 今日、長崎は6日の広島に続き61回目の追悼の日を迎えました。私は、5時半起きで爆心地公園で開催された長崎在日朝鮮人の人権を守る会主催の「長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼早朝集会」に参加しました。

長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼早朝集会

 「追悼長崎原爆朝鮮人犠牲者」の碑の前で行われた集会では、高實康稔代表が、メッセージを読み上げ、日本政府に過去の植民地支配に対する反省と謝罪の上に立って、最低限の要求として次の3点の実現を強く求めました。

1、被爆者健康手帳の交付について在外申請を認めること
1、ドイツにならって抜本的な「戦後補償法」を早急に制定すること
1、「日朝ピョンヤン宣言」に基づき、速やかに国交を樹立すること

 碑の裏側には「強制連行及び徴用で重労働に従事中爆死した朝鮮人とその家族のために」と刻まれています。碑を後にして、下の川にかかる橋を渡り爆心地に屹立する三角柱の中心碑前で写真を撮りました。時間は既に8時半を過ぎ、その頃には、陽射しも強くなっていて木陰には涼を求める人もいました。

 10時40分にはじまる式典に出席するために、家に着替えに戻りました。被爆61周年長崎原爆犠牲者慰霊平和記念式典は、遺族・被爆者4,800名の参列のもと開式。

原爆死没者名奉安

 原爆死没者名奉安、山口市議会議長の式辞と進み、11時2分、サイレンと「げんばく許すまじ」のメロディと鐘の音が鳴り響く中黙祷、伊藤長崎市長の被爆から61年目を迎えた今、ここ長崎では怒りといらだちの声が渦巻いていますからはじめる「平和宣言」、被爆者代表中村キクヨさんの「平和への誓い」と続きました。

 「平和への誓い」は自らの被爆体験、被爆2世の次男が55歳で白血病で病死、今戦争のおろかさ、怖さ、むごたらしさを伝えなければとの切羽つまった思いから、残された人生を平和な世界にするために努力することを誓った感動的なものでした。

 山里小学校6年児童による合唱「あの子」、純心女子高校1年生による合唱「千羽鶴」は何回聞いてもいつも新鮮で私達に希望を与えてくれます、美しいハーモニィの余韻が残る中で、11時38分閉式。

平和公園は、当時長崎刑務所浦上支所があった場所

 会場の平和公園は、当時長崎刑務所浦上支所があった場所で、収容者81人全員が爆死、この中には少なくとも46人の中国・朝鮮人がいたといわれています。現在も外壁や建物の基礎部分の一部が保存されています。

 長崎県被爆者手帳友の会祈念館での慰霊祭に出席、被爆者の皆さんと2月2日に亡くなられた深堀前会長を追悼しました。

平和展 また、今日から江平中学校の3年生の絵が浦上百貨センター空き店舗ギャラリーで開かれているので「平和展」を見に行きました。自画像に平和への思いを伝えるメッセージが書かれていました。魚や肉等の買い物をして帰りました。

 時計は5時を回っていました。涙と怒りと希望でクシャクシャになった私の長い長い1日が終わりました。

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