大中尾棚田・ながさき暮らし農園付き住宅視察記
先日、私のHPで第21回外海地域審議会の傍聴記を紹介しましたがその続編です。

8月30日の審議会終了後、午後からは楽しみにしていた、棚田と農園付き住宅を外海行政センターの吉川センター所長と平野産業課長のお2人に案内していただき視察することができました。
◎大中尾棚田
面積6.5ha・地権者43名・棚田枚数300枚。大中尾棚田保全組合(広山昭作代表)が管理し、米作り、棚田オーナー制、案山子コンテスト、フォトコンテスト等の取り組みを通して貴重な棚田を保全しています
素人写真でお世辞にもよく撮れているとは言えませんが、1枚1枚の棚田の穂がそろい揺れる様は、まさに緑の絨毯、1枚1枚が風に乗って飛んでいくようでした。そして、風まで緑色に染まっているようで、草木の香りがあたり一帯に広がっていました。
さて、田んぼに必要なのは「水」ですが、棚田にどのような方法で「水」を引いているのでしょうか。その秘密を解く鍵が、1700年代に先人が築いた「大井出水路」なのです。
この水路とともに200年余りの長い年月をかけて棚田が1枚1枚耕されてきました。その水路に案内して下さいました。
吉川所長のお話では、総延長約4.2㎞、雪の浦ダム上流が水源となるこの「水路」を築いたときの土木工事のことが古文書に残されているとのこと、当時は測量技術がない時代、どのような方法で斜面地を縫う、勾配の緩やかな水路(水を万遍なく田んぼに引く為には勾配が緩やかでなけれななりません)を築くことが出来たのか、そのことが記述されているそうです。
その方法とは、横一列にちょうちんを並べ明かりをつけて、その明かりの高低で向かい側から傾斜を確かめ、水路の位置を決めて工事を進めていったとのことです。
村人が横一列に並んでちょうちんを下げたものか、あるいは長い棒状のようなものにちょうちんをいくつも下げたものか(あくまでも私の想像ですから、でも漆黒の闇に浮かぶちょうちんの明かりを手がかりにするとは驚きです。)定かではありませんが、いずれにしても当時としては、巨大土木プロジェクトであったということにかわりはありません。
先人の知恵に感服すると共に、今でも貴重な「水路」の恩恵に浴している私たちですが、さて300年の後の世に、また人々に果たして何を残すことができるのでしょうか。
◎農園付き住宅
8区画・原則として定期借地による30年間の賃貸借・契約期間満了時に長崎市が買取。長崎市の定住人口増加策。「ながさき定住支援センター」が窓口
今、競うように団塊世代をターゲットに全国の自治体が田舎暮らし推進に取り組んでいるので、そう簡単ではなさそうですが、何とか定住化につなげたいものです。
帰りは、外海地区内にある遠藤周作文学館前のバス停まで送っていただき、4月にオープンしたばかりの道の駅の物産販売所でらっきょうやあおさ等を買ってバスに乗り帰路に着きました。

