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東京国立近代美術館フィルムセンター再訪

 10月12日朝8時、函館で開催される日本商工会議所主催の観光振興大会に参加のために長崎発羽田行きの飛行機に搭乗。前日開催された臨時議会で予定変更になった為に、羽田経由函館行きが大会開催に間に合う便が2便とも満席、午後3時10分発を何とか確保することが出来ました。

 でも待ち時間が4時間、長い4時間を空港内で過ごすのはもったいないとあれこれ考えているうちに、日比谷公園隣接の市政会館内に開設している長崎市東京事務所を久し振りに訪問してみることにしました。突然の訪問にも関わらず快く迎えていただき、首都圏で働く職員の皆さんの奮闘ぶりにも接することが出来ました。

 東京事務所でお茶をいただきながら、次の訪問先を、事務所からはそう遠くない京橋にある東京国立近代美術館フィルムセンターに決めていました。私にとっては10数年ぶりの再訪。センターに到着して、先ず目に付いたのが7階の展示室で開催されている生誕110周年記念衣笠貞之助の世界でした。

 映画は観客として鑑賞するのは比較的好きですが、批評したりすることは勿論不得手、監督とか俳優等についてもほとんど知りませんから自分だけの楽しみということになります。

 というわけで、衣笠監督についてもほとんど知りませんでしたが、映画「雪之丞変化」とか俳優の長谷川一夫等のポスターが展示されていたのでこれらの名前から衣笠監督を逆に知ることになりました。

 そして同じフロアーには常設展示室があり、我国の映画の歴史が年代順に展示されています。数多い展示物の中から、偶然にも2つの印象深い展示物と出会いました。

(1)浅丘ルリ子主演の「緑はるかに」撮影スナップ写真:私の映画に寄せる「原風景」は・小学校低学年の頃、校庭に広げられたスクリーンに見立てた大きな大きな白い布に映し出された映画・学校の講堂で鑑賞した「原爆の子」戦後の平和教育の片鱗・子ども雑誌のおまけ、電球でかざして映し出す幻灯機・「緑はるかに」を映画館で鑑賞したことですが、「緑はるかに」の映画の題名や色彩の鮮明さ、主演の浅丘ルリ子の名前ははっきりと覚えているのですがストーリーは全く記憶になかったのです。それが、偶然目に入り、しかも映画のストーリーの説明書きもありました。

 それでわかったことは、1955年(昭和30年)5月に制作(ということは私が8歳の時)、日活はじめての総天然色映画、約2,000人の中から選ばれた浅丘ルリ子のデビュー作、物語は科学者の発明をめぐる、歌と踊りのファンタジックな冒険活劇などということでした。

(2)1868年(明治1年)、長崎に生まれた梅屋庄吉にちなむことです。

0610book.jpg 彼は、生涯をかけて孫文の中国革命を財政的に支援した人物でもありますが、我国映画史にとっても貴重な足跡を残した人物として展示されていました。香港で写真館を経営、帰国後東京に<Mパテー商会>を設立、当時の活動写真会社を統合、現在の「日活」の前身「日本活動写真株式会社」を創設した経歴の持ち主だったのです。

 長崎ではほとんど知られていないのではないでしょうか。残念なことです。このように過ごした4時間は、あっという間でしたが、私にとっては得がたい4時間となりました。

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