広範な国民連合全国総会記念講演で学んだこと
自主・平和・民主のための広範な国民連合第14回全国総会が11月25日、26日名古屋市で開催され、初日の25日には、元中国大使の中江要介氏の記念講演「新政権とアジア外交」がありました。

私にとってアジア外交を考える上でとても示唆に富む内容でした。特に、長崎は歴史的にもアジアをはじめ海外との交流の歴史があり、今日でも、中国・韓国・ベトナムなどアジアの国々との交流もさかんに行っていることから、被爆都市長崎としての対アジア自治体平和外交を推進していく際の基本姿勢をあらためて学んだように思います。そこで講演の要旨を紹介します。
●どんなことがあっても戦争は絶対してはいけない
講演は、中江氏自らの戦争体験からはじまります。
先日、軍隊時代の同期生が集まった時、ルソン島から帰還した友人が語った話として。戦死のほとんどは、戦闘での戦死ではなく約90%以上は餓死、餓死寸前の戦友が「死にたくない何とかしてくれ」と言って泣いてすがりついてきても助けられなかった、涙をのんで置き去りにして退却した時の戦友の顔は一生忘れない。
また、友人の所属部隊は、飢えのためにそこらにあるものは草でもネズミでも食べ、戦死した戦友の死体を引き摺ってきて肉を食べた話もしてくれました。こういうことは、南方戦線ではよくあったらしく、もっとひどい話として、お話しするのもはばかられますが、お互いがお互いを射ち殺して食べた。
戦争というのは究極ここまで行き着くのです。だから、どんなことがあっても戦争は絶対してはいけない。私の譲れない信念です。私が外交官を目指したのもこのことが大きな理由です。
続いて、現在の我国の外交の誤りをただすために2つの貴重な指摘がありました。
●孫文が訴えた大アジア主義
1つは、孫文が最後の訪日で中国に帰国する直前、神戸で演説した大アジア主義。
明治以降、戦前、戦中の我国のアジアに対する姿勢は、福沢諭吉が唱えた「脱亜入欧」でした。(現在は、「脱亜入米」ということになるのですが)この方針の下、日本は強いのだから、遅れたアジアを相手にせず欧米にならいこれに追いつき追い越せという考えで武力にものを言わせて、戦争に突き進んできました。
このことに警告を発したのが、亡くなる直前に行われた神戸での最後の演説で、欧米がやっている武力に依存する覇道を選ぶのか、それとも東洋の伝統である文化の力、教育、学問の力によって王道を選ぶのかが問われていると訴えた演説でした。
しかし、孫文の呼びかけに、日本は何で応じたか、傲慢な思い上がった考えが覇道を選択させたのです。日中戦争・太平洋戦争は惨敗で戦争が終わりましたが、悲惨な戦争を誰が進めてきたのか、その責任は誰か、真摯に向かい合ってこなかったこの日本人のいい加減さが日本がアジアに信頼されない理由であります。そして、そのごまかしがまだ続いています。これこそ、新政権のアジア外交の一番の根本問題です。
●1977年の福田ドクトリン
2つ目は、福田ドクトリン。
戦後のアジア外交で多くの人が忘れています。1975年、当時の田中角栄総理が、東南アジア歴訪(タイのバンコクとインドネシアのジャカルタ、外務省アジア局にいた私もお手伝いしました)、バンコクで「日本の援助はいらない」「日本は東南アジアを食い物にしている」等とものすごい反日デモがあり総理は帰国、非常にショックでした。何故こうなったのか、田中内閣は真剣に反省しました。その後、1977年当時の福田赳夫総理がアジア歴訪をした際に発表したのが福田ドクトリン(3原則)です。
第1原則 日本は経済大国になっても、軍事大国にはならない
第2原則 ものや食べ物で付き合うのは間違っている、その国や民族との心と心のふれ合いを大事にする
第3原則 体制の違いを越えて、共存共栄の道を求める
このマニラ演説はとても歓迎されました。今日こそ、政治家は福田ドクトリンを思い出してアジア外交に生かさなければならないのに、小泉政権のアジア外交は空白の5年間でした。典型的な例は、日本の常任理事国入りが出来なかったことに象徴的に現れています。つまり、アジアに信頼されていないことです。
●アジア外交を実のあるものに
今、新政権がやっていることは、「拉致問題が解決されない限り国交正常化はあり得ない」と制裁ばかりやっていては信頼関係が出来るわけがありません。
福田ドクトリンの「第2原則」に戻り、もっと心のふれ合いを大事にすべきです。アジア外交を実のあるものにするためにも、国民の利益のために闘う政治家を選んでいかなければなりません。
中江氏の講演の内容を私なりにまとめてみました。もっと詳しく講演の内容を読みたい方は自主・平和・民主のための広範な国民連合にアクセスして下さい。
