被爆建造物等「三菱兵器住吉トンネル工場」の保存・公開
9月議会厚生員会での所管事項調査の対象になったために、委員会で「三菱兵器住吉トンネル工場」の現地調査を実施しました。
住吉トンネル工場は、爆心地から約2.3キロメートルの地点にあり、第2次大戦末期に空襲を避けるために三菱長崎兵器大橋工場から780台余りの機械が移された疎開工場で、6本掘られたトンネルの総称です。(当時、1・2号トンネルはすでに完成、3・4号トンネルは貫通していたが未使用、5・6号は掘削中)長さは約300メートルでトンネル間は通路で結ばれています。
今回、市道の拡幅工事で40年ぶりに6本のトンネルの全容が現れました。被爆当時トンネル内外には、約1,800人余りが航空機用の魚雷をつくるために昼夜2交代労働に従事していましたが、トンネル掘りは強制連行された約800人の朝鮮人によってほとんど手作業で進められました。
長崎市は、被爆建造物等の取扱基準により、1・2号トンネルのみ保存し必要に応じて一般公開、3号から6号までは工事の関係などで入口部分を壁で塞ぎ公開対象外とする考えを示し具体的に工事にかかっています。
被爆者や市民の間からは、6本全部を保存し公開して欲しいとの声が出ていますが、長崎市は聞く耳を持ちません。委員会では、6本の保存のために何とか方法はないものか、質疑を交わしましたが、公開方針を変更する考えはありませんでした。
長崎市の平和行政は、爆心地公園の中心碑撤去、救護所として使用されていた旧新興善小学校の解体、そして今回の問題等からみても極めて中途半端で、歴史の生き証人としての被爆遺構の保存・活用のあり方について長崎市の姿勢がまた問われようとしています。
