自主・平和・民主のための広範な国民連合第15回全国総会

11月17~19日、福岡県筑紫野市にて開催された「自主・平和・民主のための広範な国民連合第15回全国総会」と「人権・平和のためのフィールドワーク」に参加しました。
第1日目
第1部開会行事として主催者挨拶、来賓挨拶に続き記念講演「日朝国交正常化とアジアの共生」のテーマで大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター所長の武者小路公秀氏の講演がありました。
講演の要旨は、アメリカのアジア戦略がイランへの反テロ戦争を中心に置く限り、朝米の国交正常化は必至であり、これに伴う日朝国交正常化は早晩なされるだろうが、問題はそれを待つのではなくピョンヤン宣言にもとづく日朝の国交を一刻も早く正常化することが必要であることが強調されました。
今日、日朝関係は「拉致」「核開発」等を理由に冷え込み、世界の流れが、米朝関係の改善、南北朝鮮の経済をはじめとする活発な交流を支持する方向に向かっているにも関わらず、完全に孤立を深めています。そのような意味で、タイムリーなテーマでの講演であったと思います。
また、来賓挨拶、特別報告では農民の代表としての挨拶が一番印象に残りました。特に米作農家にとって減反政策に続く食管法の廃止等によって米価が大暴落、昨年と比べて60kgあたり1,000円も値下がり、15年前の半額に近い水準になり肥料代・農機具代等を支払ったらほとんど現金が手元に残らないという悲惨な現実、その上畜産をはじめとする農産物の自由化を推し進めようとしている我国農政への手厳しい批判が相次いだことです。
農業は国の独立の基本、にもかかわらずアメリカや我国の多国籍大企業の要請に抗しきれず市場を開放し続ける農政は、まさに亡国の道を歩んでいるとしか言えません。外国からの輸入がストップした時ではもう遅いのです。
第2日目
今年の8月に開催された第5回全国地方議員交流会参加の議員も目立ちました。そのために、急遽、昼休みを利用しての情報交換や交流が行われ、次のことが決まりました。
山口県岩国市の市庁舎建設で国が約束した補助金カット問題で行動が起こせないか、住民投票で米軍再編受入を拒否した岩国市への「ムチ」の政策であり、このことを許せばまさに地方自治の危機、カットを認めるわけにはいかないと全国地方議員の名で対政府交渉をしてはどうかということになり、総会に提案することになりました。その結果、横須賀市の原田議員を中心に取り組みを進めることに決定しました。
18日夜は、翌19日のフィールドワークのための前夜学習会が小郡市の明願寺で開催されました。講師は芝竹夫氏、テーマは「筑豊の炭鉱と朝鮮人強制連行犠牲者」でした。
強制労働の果てに坑内死した同胞を連れて帰ろうとした時、日本人の現場指導員が人間一人アリ一匹、お前達民族を人間と思っていない、足で踏み潰すアリと同じと言ったことに強い憤りを覚えたとの話も伝わってきています。
そして、朝鮮人墓地とは名ばかり、日本人墓地の隅っこに、大小さまざまの37基のボタ(石炭とともに搬出された岩石)が寄り添いあうようにしていますが、その凸凹のボタに死者の名前も死亡した日も刻むことは出来ず、墓石というよりは、死者を葬った場所を示すに過ぎません。私たちが、決して忘れてはいけない過去の歴史と向かい合った貴重な学習会でした。
19日は、フィールドワークの日
「大刀洗空襲を語りつぐ会」の西依武信氏が案内をしてくださいました。東洋一といわれた陸軍大刀洗飛行場は1919年に完成し、最初は中国大陸で陸軍の先陣をきって侵略戦争の最前線基地として、1940年からは教育隊として特攻兵育成を開始した基地でした。
今は、のどかな田園風景が広がる小郡市周辺一帯に建設された広大な飛行場跡をめぐり、その規模の大きさと戦争を遂行するために整備された多くの軍事施設跡に寒気さえ覚えました。この飛行場建設にも多くの朝鮮人がかりだされたということを聞き戦時下のすさまじいまでの総動員体制があったことをあらためて学習しました。
見学した場所は、掩体壕(敵の空爆から守るために航空機を格納していた壕)、1945年3月27日米軍による大刀洗爆撃(沖縄上陸作戦前の特攻基地壊滅のための爆撃)による三井郡立石国民学校生徒犠牲を追悼する平和の碑、大刀洗公園(爆撃中心地)等でした。
