負の遺産「軍艦島」

軍艦島とは、そのシルエットからつけられた名称で、正式には、長崎市(旧高島町)にある端島(はしま)といいます。19世紀より採炭がはじまり、1890年から三菱財閥の所有になった海底炭鉱で、大正末期から集合住宅群・学校・映画館・神社などが次々に建設され、最盛期の1960年には約5,200人が暮らしていました。1974年の閉山時には約2,000人に減り、その後、住民は相次いで島を後にし、現在は無人島と化しています。

近年、「近代化遺産」として注目され、経済産業省が九州に点在する産業遺産とともに世界遺産への登録に向けた支援を決定しましたが、暫定リスト入りは実現しないまま、2006年に継続審査になっています。
日本の近代化と戦時体制を支えた軍艦島ですが、私たちが決して忘れてはならないことは、過酷な労働に従事した炭鉱労働者とその家族、また、戦時中の「負の遺産」としての中国・朝鮮の人々の強制連行の歴史です。

現在、長崎市は観光目的のために軍艦島に上陸できるように、桟橋の整備のための財源を予算化していますが、安全性の問題などで中断しています。崩れゆくままの「廃墟の美学」を主張する学者もいます。私もその説に賛成です。
約1時間40分の軍艦島クルージング。岸壁に打ちつける波、泡立つ白波、静寂の中で崩れゆくままに屹立する建物群に圧倒され、その迫力で様々な感情が呼び覚まされました。

長崎の港は、かつては鶴が羽をひろげたような港という意味で「鶴の港」と言われてきましたが、特に明治以降は相次ぐ埋め立てで、その姿を変えてきました。日頃は、陸から海を見ていましたが、今回は海から陸にある様々な光景を眼にする機会ともなり、長崎の持つ様々な「顔」を見ることが出来てよかったと思います。

