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中国人原爆犠牲者追悼碑が7月7日除幕

旧浦上刑務支所・中国人原爆犠牲者追悼碑 除幕式

「旧浦上刑務支所・中国人原爆犠牲者追悼碑」除幕式

 7月7日は、71年前中国全土にひろがる侵略戦争への契機となった盧溝橋事件勃発の日です。

 私たち日本人はこの日を決して忘れてはなりません。しかし、年々風化が進んでいるのは否めません。このことからも、「旧浦上刑務支所・中国人原爆犠牲者追悼碑」の建立は重要な意義があるものと思います。

平和公園「旧浦上刑務支所・中国人原爆犠牲者追悼碑」除幕式 除幕式が行なわれた7月7日は、崎戸炭鉱の御遺族と鹿町炭鉱の御遺族が出席されました。御遺族は前日の集会にも出席されました。

 追悼碑の裏面には、「この地で原子爆弾により非業の死を遂げた中国の方々を追悼するとともに非戦と核廃絶を誓ってこの碑を建立する」と刻まれ、爆死された32名の方々のお名前が刻銘されています。

 父親の名前の前で嗚咽し語りかけ、叫び続けておられる姿に、御遺族の方々の心中を察するに余りあるものを感じました。

 長崎の平和のシンボルである平和祈念像のある平和公園は、かつて刑務所があった場所です。ここにあった刑務所で理不尽な死を強制された中国の人々が存在したことを、歴史の事実として永久に私たちの記憶に止め、反戦・平和の運動を更に強めていかなければならないことを再認識させられた1日でもありました。


建立委員会まとめによる、中国人原爆犠牲者追悼碑建立に至る経緯(抜粋)

(1)1944年戦時中に長崎県崎戸・鹿町・高島・端島炭鉱で中国から強制連行された中国人は1,042名、過酷な強制労働を強いられた上に、(2)1945年治安維持法・国防保安法違反等の容疑をかけられ崎戸より27名、鹿町より6名が浦上刑務支所に移送され、(3)1945年原子爆弾により浦上刑務支所は壊滅、収容者・職員全員が爆死、(4)1957年「遺骨送還事業」に際して原爆犠牲者の遺骨が送還される、(5)1991年平和公園地下駐車場工事現場より旧浦上刑務支所出土、(6)その後中国における初の現地調査、強制連行の被害者の確認、「中国人強制連行被害者の来日を実現する会」結成、「長崎の中国人強制連行裁判を支援する会」結成を経て(7)2003年長崎地裁に提訴、謝罪・賠償と記念館設立を求める、(8)2007年長崎地裁判決、強制連行や共同不法行為などの事実関係を認めつつも時効・除斥による敗訴。福岡高裁へ控訴、(9)2007年「浦上刑務支所・中国人原爆犠牲者追悼碑建立委員会」発足(代表本島等氏)、(10)2008年福岡高裁控訴審結審 和解協議へ、(11)2008年3月起工し、同年7月7日に除幕式が行なわれた。

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